120208
◎新作
100万年ぶりの新作です。
大阪で個展をしまうす。3月です。詳細は「ニュース」ページに明日ぐらいにはアップしまうす。
久々で気合いが入っておりますが、それ以上に、このたびはお寺が舞台であることに大きな喜びを感じております。
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120208
◎あけてもうた。
100万年ぶりの更新です。
前回の更新から、もう半年も経っておりました…。ほぼいないに等しい数少ない読者の皆様、本年もよろしくお願い申し上げまうす。
おそらくこのサイト、文字化けもしておりまして、あたらしく、XHTMLで、心もあらたに、CSSも用い、心機一転フレーム構造もやめて、サイトそのものを作り直してゆきまうす。
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110707
◎七夕
またまた七夕がやってきました。クリスマスとかぶっちゃけやってられませんが、七夕は特別でぅす。ここでのブログを再開したのも七夕でして、ロマンチックが止まらないタイプのおいらには、この日に特別意味のあることをしちゃいたいわけです。
今日することはもう決めてありまして、作りかけの最新幽霊のまわりをお片づけするということです。どんなふうに片付けるかを昨夜イメージしていたら、とっても神秘的なインスタレーションのイメージが湧きました。
静かにしていると、彦星どのの贈り物が届けられます。インスタレーションのイメージもそうですが、その光景がどこに設置されるべきか、その場に辿りつくまでに、何をすべきか。贈り物へこちらもプレゼントを送り返すように、体を動かし作ることを続けとります。おかげで一番やりたいことをこの年になっても続けられておりまうす。
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110430
◎死別の地べた
ここから見ると、大勢の命が奪われた出来事ですが、ある場所から見ると、たったひとりの大切な人との死別でもあります。
津波によって、その地べたはちぐはぐです。屋根の上の船、電柱にひっかかったトイレの便座。同じように、大切な人を亡くした人の心はちぐはぐです。死の方向を探る形而上の問いに、頭の磁石がぐるぐるします。
自然の脅威とともに生きる地べた。死者とともに生きる地べた。震災を経たわれわれも、死別を経た一人ひとりも、等しく、新しい地べたを問う作業が課せられます。
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110430
◎港
森進一「北の蛍」を聞きながらの更新です。
最近の作業用BGMは演歌です。矢代亜紀を筆頭に、青江美奈、森進一など、ハスキーな声で女心を歌う歌手が好きです。
震災以来、故郷の海や山を思います。函館ですので大きな被害はなかったのですが、日本の港町全体が、愛おしく感じます。
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110430
◎寝間着
震災以来、作業着のまま寝ています。ドカジャンにニッカポッカというのが、私の作業着です。最近は熱くなってきたので、さすがにドカジャンは脱いでいます。
芸術家でなかったら、大工になりたかったかな、と思ったりします。でも個人プレーが好きだから、立派な大工はぜったい無理です。掘立小屋を自分で立てて、その中で仏像をつくるような、そんな日々がいいです。
それで、海沿いを歩きながら、行く先々に掘立小屋と仏さんをつくって、そうして一生を終えたいな。って、まるで円空さんではないですか!
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110430
◎雪について
お地蔵さんをつくり出したきっかけは、雪です。
私にとって、雪は、私の生き方にかかわるほど大きな契機を知らせてくれるチャイムとして存在しています。もう長いこと、雪の、というより降雪の合図とともに、生きております。
今回も、雪に促されてお地蔵さんをつくったことは、私の生きる場所を教えてくれる合図だったと思います。私たちの生死を渡す場を生きていくことを私に示す、合図であったと、思います。
「渡す場」、それが宗教か芸術かは今のところどっちでもいいですけど、私の生きる場所が降雪とともにあること、ひいては循環する自然の中にあることは、ほぼ間違いないでしょう。
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110430
◎お地蔵さん
もう、2か月近くも更新していませんでした。
前回の記述は、震災前の3月7日。お地蔵さんをつくり出した日です。お地蔵さんは、とっても小さいですが、現在のところ十数体になりました。とっても小さいですが。
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110307
◎降雪中2
と言いつつもう一言。
お地蔵さんとか言ってますけど、わたしのものづくりは大きく2つの方向がありまうす。
世俗方面と祈り方面。これらは互いに浸透しあってますけれども、おおざっぱに言うと、「アート」とか「展覧会」的な形式に向けて形を整えるのが前者。数百年の世俗的な時間につくられたイデオロギーにしばられずに向かう行いが後者ということになりまうす。今日のお地蔵さんは完全に後者でっす。
ちなみに寝起きの雪のスケッチは両方に属しまうす。雪というのは、宇宙と私とこの世界を貫く、とても大事なモチーフなわけでして。
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110307
◎降雪中
一万光年ぶりの更新です。
いやーん、もう2ヶ月も更新していなかったーん。ちょいと、がんばらないと。
さて、現在東京上空は大粒のぼたん雪が降っとります。なんてろまんちっく。そんなわけで、寝起き早々雪をスケッチしておりますが、お地蔵さんをつくりたくなったので、そっちに移ろうかと思いまうす。
雪とお地蔵さんて、なんで相性がいいのだろか。私は北海道産のじゃがいもですから、そりゃ雪の中のお地蔵さんには馴染みがあるのかもしれま千円が、絵本とか昔話とか、お地蔵さんはだいたい赤い前掛けに傘に雪だったりするような。
おっとっと、雪、降っている間にお地蔵さんつくっちゃいたいので、このへんで…
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110110
◎木彫
昨年の今頃、師匠の彫刻家と彫刻の話をしました。たぶんそれがきっかけでつくりはじめた木彫が、年末にほぼ完成しました。
円空と橋本平八が好きなせいか、できあがった木彫はいくぶん無骨で純朴な風味を帯びておりますけど、わりとよくできたっぽい雰囲気です。
木彫をしていると、どうも心が静かになって、円空や平八どのと心が通い合う気がしたりします。あるいは縄文人や森のカミさまたちと心が通い合う気がするというか。
まあ、気のせいでしょうけど。この気のせいを暴走させて芸術をやっとりますので、今年もどうぞよろしゅうたのんます。
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110110
◎頌春
新年あけてもうた。
年末の大そうじが気持ちよかったので、今年は掃除をしながら静かに過ごしたいなあと思ったりもして。
と言いつつ、制作面では芸術が爆発しとります。発表までまだだいぶありますので、次回の展示まで掃除しながら静かに爆発しときたいと思いまうす。
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101218
◎ネクスト
来年は自主的な展覧会はせずに、そのエネルギーを、ウェブの再構築に向けたいという気持ちでおります。
と予定を立てたところで、その通りにはいかないものですので、目下の作業を黙々とやるだけです。
今日はまた、青が黄金色に負け気味の空なわけで。
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101218
◎師走
もう今年も終わろうとしております。まずは、今年お世話になった方々に大感謝でございます。とくに展覧会関係でお世話になった方々に、大大大感謝!!!とくに後半二つの展覧会では大学の教員、職員、学生の方々に多大なご協力をいただきました。
最後の展覧会では、領域を異にする学生から厳しく激しい質問や意見(アートを専門とする学生方ではないので、アートの存在そのものの意義にかかわるクリティカルな問い!)をたくさんいただき、本当にありがたい場を提供していただきました。記録をまとめているところです。
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101218
◎久々
200年ぶりの更新です。
アップせずにためておいたブログを、下に追加しました。時間が前後している箇所がございますが、ご了承ください。
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101026
◎作業用4
つづきです。10年前の修了制作で、テレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」を口パクで歌うパフォーマンスをしました。大学図書館にあるサモトラケのニケのレプリカの横で。
今こうして、「恋に落ちて」を聞きながら自分の幽霊を制作しているわけですが、10年前とやっていることはそれほどかわらない気がふとしました。
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101026
◎作業用3
つづきです。「木村の作業用厳選21」には、あまり言いたくないですけど、徳永英明のカヴァーも入っとります。「恋に落ちて」、うっふーん。アラフォーですから。
不倫を思い起こさせる曲ですけど、法やモラルからはずれちゃってる行為や存在って、それはそれで幽霊的なものではあります。
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101026
◎作業用2
前回のつづきです。「木村の作業用厳選21」、この中には、35才らしく、チャゲアスが一曲入っとります。片思い星人らしくしっとりバラード。「好きになる」って曲です。まったりした感じが、長丁場の作業には心地良いです。
やる気を出すために「YA-YA-YA」も入れてみたのですが、疲れてくるとしんどくなるのでやめました。
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101026
◎作業用1
すみだの搬入もおわって、来月の個展の準備をしとります。
展覧会前はやることがなんぼでもあるので、寝るタイミングがわかりま千円。今は夜中の12時半ですけど、やることはなんぼでもあるので、まだちょっとがんばろうかと思うとります。
一夜漬けと違って、制作ってわりと長丁場ですので、ときどき心が折れそうになりますが、好きな音楽を流しっぱなしにしてあまり深く考えないようにして黙々とやっとります。
ユーチューブの「再生リスト」にお気に入りの曲を200曲入れて繰り返し流しておりますが、それでも折れそうになってきたのでさらに21曲に厳選した新規リストもつくりました。外国語とか、凝った音とかは、なんか気持ちがイライラするので、邦楽のみにしました。
21曲中、なぜかくるりが3曲も入ってしまって、その中の「東京」という曲に心が打たれてしまって、なんだか切ない気分です。
しばらくこのブログは、ユーチューブ再生リスト「木村の作業用厳選21」について綴ってみようかと思います。
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101026
◎穴ぽこ
展覧会前の大忙しが過ぎ去ると、私のどこかにぽっかり穴が開きまうす。ちょうど、引越しが終わって空っぽになったアパートの部屋みたいに。諸行無常のぽかんの響き。
その穴ポコに、過去の失敗の悔みがやって来たりして。あの失敗を取り返すには…、まあ、何でも時間がかかるものです。18年も悔みつづけていることもありますし、それを取り返そうと、残りの人生を費やしてしまおうかと思ったりもしたりするくらいで、まあ、何でも時間はかかります。
こういう穴ポコとそこにやってくる絶望みたいなものが、私の人生の相棒だったりして、もしかすると、この分身みたいな、私の形の穴ポコが、この5年間つくりつづけている「私幽霊」なのかなあと、思ったりもして。またまた、最後は幽霊に結びつけてしまいましたけど、いっつも似たようなことばかり言ってこめんさい。
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101102
◎個展スケジュール変更
11月の個展スケジュールに若干の変更がございます。「ニュース」ページを訂正いたしました。
個展と合わせて開催されるワークショップなどのスケジュールも、近日中に「ニュース」ページへアップしたく思うとります。
そりから、事務的な告知がつづいておりますが、10月の展示も終わりましたので、徒然なるままに、ブログをまたがんばろうと思うとるところです。
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101005
◎いろいろと更新
久々の更新でぅす。
このサイトの「アートワークス」ページに、作品の動画をのせました。みてちょ。
そりから、今月あんど来月と、展覧会がありまぅすが、詳細な情報を「ニュース」ページに記しました。みてちょ。
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100907
◎次のプラン
なんだかんだと展覧会のお話をいただけて、ほんとうに嬉しいです。
次回は本年11月に都内で行いまうす。詳細が明示できる頃に、このサイトでお知らせします。
個展になりますが、タイトルは決まっております。「幽霊研究者の位相」です。「幽霊」という語の使用を避け気味でしたが、今回はおもいっきりイキマス。
みなさん、来てくらさーい!
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100907
◎すでに秋!
まだまだ暑いですけど、もう9月ですねー。
世の中の若人は夏休みも終わって一区切りかもしれませんが、社会人にはあまり関係ないですね。私にはもっと関係なく、日々休みなく芸術に精進しとります。
区切りと言えば、一応いくつかつけてないわけではないですけど。たとえば2012年3月(これは今行ってる学校が終わる目印)とか、40歳になる2015年あたりとか。40歳くらいまで生きられたらラッキーと思っているっていうくらいの目印で、何の根拠もないですけど。その先は、オマケの人生ですので、そのとき考えまうす。
17歳で一度死んだ設定でやっとりますので、すでにオマケの人生を生きている気持ちでおりますが、毎日空がきんきんに青くて、とにかく毎日生き返った気分で、胸がきゅんきゅんでっす。
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100813
◎減量の先
横浜の展覧会が終わったので、作品の解体をしております。
薄いシートが原料ですので、大きいインスタレーションも畳んでしまうととっても小さくなります。それでも展覧会のたびにものが少しづつ増えてゆきます。
押入れ一個に収まるように、さらにものを厳選して、捨てて、捨てて、持ち物をそぎ落としているのですが、去年から急激に増えてしまった本が重くてかさばって、ちょっと気分がふさぎます。重いものって、部屋にあるとほんと、落ち込みます。
すべての本が早くデータになってくれたらいいのに。そんで私の作品がもっと畳めるコンパクトなものになったらいいのに。そんで部屋がウォーターベッドになって空を飛んで、体はいつでも透明人間になれるようになって、いろんな時間にワープできたらいいのに。
結局いつもと同じイメージを描いてしまいます。こういう不安定な生活をしている間は、サランラップで自分の体をつくりつづけるんだろなー。
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100813
◎蝉
蝉の声がしみいっております。蚊取り線香を焚きながら、窓を思いっきり開けとります。
携帯の充電をしようとコンセントに手を伸ばしたら、とつぜん何かがバタバタ暴れました。コンセントの下に巨大な蝉くんが寝とりました。
蝉くん、蚊取り線香は平気だろか。ちょっと心配しました。
蚊はNGで、蝉くんはOKで、ゴキブリはNGで、でもゴキブリよりはるかにグロい蝉くんはOKで。人間ってすいぶん勝手だなと、今更思ったとさ。
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100811
◎キムラ語
自分のことばで世界について考えております。自分のことばとは、私の場合、視覚芸術的な言語ですけれども。
サランラップの作品とか、ああゆうのも私のことば、キムラ語ざます。それらを簡略化して、数文字に置き換えたりもします。「ゆうれい」とか。
「ゆうれい」の四文字(または漢字二文字)を介して、他の言語と浸透し合ったりもします。例えば「ケンジ語」とか。はたまた、「コバヤシ語」(某学者)を介して「マラルメ語」とかと浸透しちゃうことも。
そんなわけで、「キムラ語」なんて淡いグラデーションで滲んでしまっていますけど、木村と名乗れる間はなんとかこの語をイキイキとarticulateしていきたいなと思うわけであります。
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100811
◎またもや青!
そんなわけで、七夕から一ヶ月が経ち、彦星くんの恩寵が毎日空を染めております。青!今日はまた、シャンプーで洗ったみたいな青でございます。
青を通して、川の向こうの熱を体いっぱい感じております。色を見ようとしても、色の不思議さかげんに頭がぐるぐるするので、せみの声と一緒に熱と風を混ぜて、青に体をとかすのみです。
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100708
◎青!
そんなわけで、七夕から一夜開けて、彦星くんの恩寵はこの空の青!今日からまたありがたい修行に励めちゃうわけでー。
川のこっちにいながら、この身のまま、川の向こうにも行けちゃう幽霊は、即身成仏みたいなものですのー、とか、世界の肉みたいなものですのー、とか、適当に答えておりますが、芸術という営みを尊敬して、この手や体のたくみをもって、眼の曇り無しをもって、論理的な言葉ではないやり方で幽霊を描くわけでして。
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100707
◎七夕
ロマンチックが止まらないタイプでして、今出品している作品のタイトルを、そのまま「ロマンチックが止まらない」としようか、あるいは「超ロマンチック」としようか迷いましたが、英語の訳が難しくなるので、結局「surromantisme」にしましたの(まっとうな理由はちゃんとありますが)。
でもって本題ですが、当ブログを久々に再開したのが去年の七夕です。世俗的な人生の節目にまったく無関心な私にとっては、1年とか10年とか、まったくどうでもいいように通りすぎていきますが(幽霊の倫理を見出すまでにこの一生でどこまで行けるかというのがもっぱらの時間感覚)、しかし七夕は特別な目印になっている日でうす。
彦星くんに会えない織姫ちゃんが、七夕の日以外でも、どうしたら川のこっち側にいながらあっち側の彦星くんと一緒にいられるか、そうした探求と修行をやっとりますが、なぜか七夕の日は、彦星くんが毎年私にヒントやプレゼントをくれるのです。
今年の七夕は、プレゼントがいくつもありました。その一つは、私が尊敬して止まない哲学者が、私の描く幽霊の倫理を一部まとめたものを2年半越しに受け取ってくれたことでうす。バッサリ無視!ということも可能性としてはありますが、そんなことも含めて、応答は来年の七夕にあるかもしれま千円。
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100628
◎幽霊の皮膚4
それだけではないということをさらに示すために、それ以外の広がりをさらに示唆するために、もうひとっつ、サランラップについて書いておこうかと。
私の作品はサランラップで作ってありますが、サランラップというのはとーっても難しい素材で、ただぺろーんとぶら下げておくだけでは、くしゃくしゃでろでろの単なるプラスチック素材です。これはみっともない。なんの感動も与えないです。
しかし、そこにこの世界の形を与えてやると、これがまあ、なんと魅力的な形になることか。私はとくに、人の形にひかれるので、デッザンしながら形を理解して、サランラップに形を与えています。布の形や雲の形、さざ波の表面の形。形は一瞬一瞬更新されますが、瞬間に驚くような形を見せます。この<形>というものから私は離れるつもりはありません。
実体よりも関係を優先するような、そんな時代を生きて参りましたが、領域横断的な行為やそれを支持する制度をたくさん目にしてきましたが、こうした流動性や可能性に形(たとえば有名性や決定性)が伴わなければ、くしゃくしゃのサランラップと一緒です。なーんでもなくて、なーんの魅力も確かさもない。絶望的な世界と言ってもいい。
まっちょな彫刻がいいと言ってるわけでもなくて、イメージだけの世界にどうもピンと来ない。だからと言って「ぼくらは絵画とか彫刻とかじゃないですから」と言いながら、何をしても中途半場なくせにアートの制度の上で社会的な身分を保とうとする若いアーティストにブチ切れたりもして。私個人の今現在の回答として、形を伴うことを約束したサランラップ、これが、真に目指される自らの態度ではないかと思うのです。そういうマニフェストも、サランラップ製の幽霊には込められておりまうす。
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100628
◎幽霊の皮膚3
それだけではないということを示すために、それ以外の広がりを示唆するために、もうひとっつ、サランラップについて書いておこうかと。
私がたとえばAさんを見て、Bさんと間違えたり、Aさんの顔にBさんの面影を見たりしたら、それはAさんの中にBさんが入りこんでいる瞬間です。すすきがざわわとした気配に、人のけを感じたら、それは植物に人間が入りこんでいる瞬間。
このように、あるものに別のものが入りこむってことは確かにあるわけで、この入りこみの可能性、秘密のけもの道、これが「動き続けるサランラップ」の示すところでもありまうす。
ああ見えた途端こう見えた、途端にこうも見えた。こうしてたとえば人が見る世界は、人の思いによって動きつづけますし、すすきによって感じられた世界は、すすきによって動かされつづけます。
賢治の言う、「あらゆる透明な幽霊の複合体」とは、私にとってはこのように「も」解釈されますし、サランラップ製の幽霊は、無意識のうちに向けられた賢治に対する私の応答であるのかもしれません。
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100628
◎幽霊の皮膚2
私があなたに対して心が動くこと、私が動かすこと。問うたり問われたり、見えたり見えなかったり、その吐息も眼圧も、すべて風というメタファーで、サランラップを動かし続けるのです。サランラップはまた、流れ続けつつもこの世界の形をすべて持つ、水のメタファーでもあります。というより、私にとっては、サランラップが、世界と私を表象するのにもっとも可能性のある素材なのですが。
それだけではありませんが、それだけでないからアートをやっているのですが、しかし作品の前で作品について語らなければならないシーンが多いこともあり、限定された言葉にしなければなりませんから、でも言葉にすると何かに限定されてしまうので、あまり語りたくはありませんが、なので普段からブログという場でぷつりぷつりと言っておこうかと。
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100628
◎幽霊の皮膚1
サランラップをいじくりながら、世界と私について考えとります。その過程で漏れる言葉を、ぽつぽつブログで零していこかなと。
サランラップは、たとえば別個のものが浄化されつつも、別個のままである状態を示します。たとえば<木村>さんとか<須藤>くんとかという違いがなくなって真っ白な雪の世界になっても、<木村>さんと<須藤>くんはそのまま別個にあるのです。
たとえば「私の幽霊」は、「私のフチドリそのまんま」の「私の浄化」。女であって35才であって、国籍とかも時給とかも決まってて、でもそんなの浄化されている状態。浄化だけでは死ぬことを望んでいるのと同じなので、積極的にこの世界で、この形を引き受けるのが幽霊の強さ。浄化と世俗の形にまたがるのが幽霊の倫理です。
だから、還元して言ってしまうと、サランラップのあの見えない薄い膜は、私もあなたもすっかり同じものになりつつも、私とあなたであることです。<私たち>でありながら、<私>と<あなた>であるからこそ、私はあなたに問うことができる。見えないけどたしかに存在するサランラップの線引きが、その不可能そうな矛盾を経験させてくれます。
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100628
◎展覧会
はじまりました。(詳しくは当サイトの「ニュース」のページへ)
今回は、ライブ・パフォーマンスやトークを合わせると、総勢50人のアーティストやキューレーター、活動家が参加しているそうです。一人のアーティスト(白井さん)の呼びかけをきっかけに、これだけの人の気持ちが動くとは。しかも助成金とかもらっとりませんえん。
BankARTを運営されている方はじめ、無数のアーティスト、活動家、アートファンの方々。これまでの私の無知のせいで知らなかった世界のポジティブな熱に出会えて、私のどこかの眼が開いてしまって、興奮がとまりませんえん。
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100526
◎パフォーマンス
久々にパフォーマンスをやりますのん。(詳しくは当サイトの「ニュース」のページへ)
今回は、お気に入りのシャツ、ピンク色で花柄の、特別な日に特別な人に買ってもらった、すごく特別なシャツから培養した幽霊と、ステージに立ちますのん。
一見なんともない服や雑貨でも、この「特別」ってやつが、幽霊の棲み家ざんす。目に見えない「特別」さ加減、これによって、私たちが一緒に見ている平たい世界は豊かになるざます。
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100519
◎ゆうれい3
さらさらつるつると人に会っておりますが、「会う」ってことの神髄に触れてからこの世を去りたいと思っとる次第でありまうす。
誰かに会って、名前を呼んで、その人の形を目でなぞったりして、一般的にはこの程度のことで「会う」とか「会った」とか言ったりしますけど、せっかくのこの世界でのことなので、もっと踏み込んで「会う」をしたいものです。
この世界では、「会えない」というこの摩訶不思議な経験を持って、「会う」というこれまた摩訶不思議な経験を知れるのかとも思いますが、ともかくこの「会う」ってことが、わたしの芸術に深く関わっているのかなあと思ったりもして。
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100519
◎ゆうれい2
あーあ、今日も話しかけられなかった。(…むかーし、こんな歌があったような。「風が踊る5月の町でー…」ではじまる、あ、南野陽子の「話しかけたかった」っつー歌ですね。)
わたしには、話かけたくてもなかなか話かけられない相手が二人おりまして。一方は、会うたびに「話しかけたかった」を繰り返して、その状態が3年目に入っておりまして。もう一方は、「話しかけたかった」の状態がかれこれ17年つづいておりまうす。
あーあ、今日も話しかけられなかった。ため息ばかり出ておりますが、このじりじりもやもやの中で、幽霊をつくっとります。
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100519
◎ゆうれい。
私が制作する「幽霊」とはいかなるものか、いくつかの場で言葉にしてきました。むかーしのブログには「ゆうれいとは別れです」とか書いてみたり、また、テレビのインタビューでは「さよならを言いに来つづけるものです」とか答えたりしました。ちょっと暗めですけど。いやだいぶ暗めですね。
私の「幽霊」に対応する言葉で最近うかんだものがあります。ひとつは「流れつづける水子」。私の幽霊とは、流産しつづける私の子供です。もうひとつは「片思い星人の野望」。片思いしたまま、それでも片思いしながら生き続けることがそもそも「私」であり「幽霊」であるというようなニュアンスざます。だいぶ伝わりづらくなってきたかもしれませんが、自分ではだいぶわかってきました。そんなわけで、こんな具合に、あいかわらず幽霊をつくっとります。
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100410
◎以心伝心。
絵は、質問したり質問に答えたりしませんから、私が雪舟の絵を見てぴぴっとくるこの感覚は、以心伝心かしらん。
画家が、切断された腕を描くのって、よっぽどのことかと思いますけど、(でも左手だからぎりぎりセーフですけど)、この絵は雪舟のハレルヤだなあと、勝手に思ってますけど、自分でもあまり意味がわからないので、やっぱり却下します。
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100410
◎雪舟。
もし、達磨のような人に、質問を一つだけしていいよと言われたら、何をたずねまちょ。
雪舟の「恵可断臂図」の僧は、腕を切ってまで何を問うたかというと、「参禅していいすか?」らしいですけど、一つっていうなら私もそれにします。
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100410
◎恩寵。
カナシミの雪のあと、空が金色の日がありましたが、愛燦燦は降り止まず、すばらしい修行が空からおっこちてまいりました。
雪の絵を描こうにも、白いキャンバスにどうやって雪を描くのか、そもそもキャンバスがどうして白いのか。雪がとける春にはじまった、恩寵のような授業と、賢者が、ヒントをくれそうです。
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100403
◎全身全霊の術。
私が行おうとしているもの、それを<芸術>と呼ぶのか、<美術>と呼ぶのか、はたまた呼ぶほどのものではないのか、わかりま千円けれども、私が行おうとしているものは、全身全霊で行う術であると、言えるのは間違いないと、言える境地に、至りたいでぅす。
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100403
◎雪の絵。
「雪の絵を描く」といいましたが、これはこの世を生きたあかしを超えたところの見え方、超えようとして少し苦しいところで見える見え方です。きっと。なので、雪の絵には、これまでのサランラップ製の幽霊も含まれますし、考えていることは、ずっとずっとかわりません。つまりのところ、あーだこーだゆっとりますけど、これまで通り、幽霊をつくり続けまうす。
なので、いったん「これまで通り」を捨てる修行をしとります。けど、そんなこと、私にできるのでしょうか。「これまで」もろくに築いていない者に、「捨てる」なんてやりようあるのかと問うているところでぅす。うふ。
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100403
◎200年ぶりの更新です。
いろいろと思うところあって、学校に通っておりますけれども、これまでのキムラ語でない言葉を必死に覚えておりますけれども、あと2年ありますから、2年間はがんばりますけど、終わったら、もうそういう言葉なんてすっかり捨てちまって、雪の絵を、でっかい雪の絵を、死ぬまで雪の絵を描くと、思っている今日の夕方です。
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100314
◎雪
カナシミの名残雪、毎朝ぼんやりしています。
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100312
◎青
ところで、昨日は、ふと見上げた空が青くて、びっくりした!久々の晴天だったせいか、久々ぶりのあの青に遭遇して、びっくりした。どんな絵を描こうとも、根拠になるのは、あの青ですから。
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100312
◎絵画、彫刻、その他
日本に<美術>学校ができたころのような作業を、21世紀の杉並でやっとりますけど、21世紀らしいこともしとります。最新のソフトでみずからのアバターをつくってみたり、バンドを組んでメディアアート的なこともやったりしとります。
つくづく思うのは、この底なしの方向を持つ時代の難しさでぅす。つまり、何でもアリの宇宙空間で、どうしても感じてしまう「私」らしきもののカタチをどう見出すか、のような、むずかしさ。
わたしの場合は、なにより絵と寝言を一つの探求(というより対話)の土台にしとります。寝言とは、寝ているときの寝言ではなく、集中しているときのうわ言みたいなものです。絵のような、図のような、詩のような、ブツ切りの合図が、ノートにはいっぱいです。
時代の風景はだいぶかわっとりますけど、結局やっていることの根幹は、34才になっても3才のときとはかわらず、はたまた、21世紀になっても明治時代とはかわらないようにも思いまうす。
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100312
◎のみ
ところで、今年に入って、すでに三塊の降雪と、一塊のカナシミがありました。かさかさの木みたいな私のこころに、のみが入って、繊維のかたまりが削ぎ落とされる気分ですが / そこからまた私のカタチが彫りさげられるのでしょう。
久々に、彫刻の(というか美術の、というより、純粋に)師匠と、彫刻の話をしたのが今年のはじめで、いつのまにやら、アトリエのテラスで木彫をはじめています。アトリエの中では、わりと大きい絵も2枚同時に描きはじめて、「絵画」と「彫刻」をやっとります。
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100312
◎点
私が毎日とるメモは、短いフレーズが、点やスラッシュでぼちぼち区切られた、寝言のようなものでぅす。ブログも、少しそのようなふうにして、綴りやすくしようかと思いまうす。
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100312
◎100年ぶりの更新です。
前回の更新以来、つぶやきなどを一瞬はじめたりもしていましたが、何一つ形としてのハリがないモノゴトにうんざりして、ひとまずブログで気持ちの整理がしたくなったりしたりもして。
相変わらずカタチについて探求しとります。世界のカタチをおうのは難しいですけど、すごく小さな、身近なモノゴトでも、たぶん宇宙の真実に似ているものだと思うので、小さいながら、がんばっとりまうす。
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100203
◎劉生、引用のみ
「大切なのは瞬間的に触れる創作当時の無限である。それは瞬間だけれど、個人の心を大いなるものに触れさす。かくてその作家の一生は人類的になり、永遠性を与えられる。意識生活において死に勝てなかったにしても、その作家は個人的死を超えて、永生を得ている。」(岸田劉生『美術論』より)
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100203
◎劉生
作品も発表せずにブログで愚痴をこぼしてばかりで、こんなんでいいのかとぼやきながら、それでもブログを更新しておりますけれど。
わたしの独り言より、劉生の言葉をお届けしたほうがだいぶよいかと思って、一部を引用いたします。
「かくて芸術家はその意識的生活で死を肯定していないけれど、その創作当時は、死以上に生きていることになる。そしてその生涯を一まとめにしてみると、どうしても個人以上に生きていることになる。」(岸田劉生『美術論』より)
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100120
◎手帳と絵画
まだ今年の手帳を入手しておらず、去年のやつのラストページを使っております。年賀のご挨拶でタオルとボールペンをいただきましたが、手帳はもらえませんでした。
どなたか、年賀でもらって余っている手帳をくださる人と、私の描いた絵を100万円で買ってくださる人、真剣に募集しています。
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100115
◎ごっほ 2
小5で人生を踏み外したのか、はたまた、真正な生き方に出会えたのか、解釈はさまざまありますけど、小坊のくせにゴッホに共感した自分には「イエス!」と言ってやってもいいかとも思いまうす。
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100115
◎ごっほ
自分を否定してばかりおりまうす。浪人したぐらいからでしょうか。あるいは、小5でゴッホの生き様に共感したぐらいからでしょうか。自分の振る舞いにもつくるものにも、自分という存在そのものに対しても、「いかん!」と言ってばかりの毎日でありまうす。だから、自分の幽霊とか、つくっちゃうんだろかぁ。ゴッホの自画像も、ありゃ幽霊みたいなもんやろかぁ。
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100103
◎新年
明けてもうたぁ。
杉並のアトリエ屋上では、大晦日の満月が、元旦の初ひので直前までまんまるく輝いておりました。富士山は初日に照らされて赤々と輝いており、色と世界と私が地続きになった気分で迎えた新年でぅす。今年は心の耳が敏感になるでしょう。
たぶん、みずからの生が修行とラブに満ちていることに私はハッピーを感じるのだろうと、ここ数年思うとりますけど、そこを貫くような夢がございます。それはだーれにも秘密でありますけども、私の命と全スキルをもってしてかなえる気まんまんの夢、それに向けた修行のための1年がまたはじまったことを御よろこび申し上げます。
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091224
◎聖なる徹夜
サンタも私も、今夜は夜を徹したお仕事でっす。サンタはプレゼントの配達中だと思いますけれども、私は来月のイベントの準備。サンタは世界中の人に向けたお仕事ですけれど、私は密室でぶつぶつ独り言を言うようなイベントの準備です。
世界中の人を相手にする仕事といっても、宣伝文句に踊らされて買い物をする人たちが相手では、サンタもアーティストもやってて虚しいと思いまうす。かといって、納得のいくことだけしたいのーん、と、お客が来ないだろうイベントを一人で企画している自分にも、疑問を感じているところでぅす。
つっても、選択肢はそれだけというわけではありませんし、私にはかすかな希望とちょっとしたアイデア(とささやかな所持金)がありますので、今夜は何だかホーリーな光に包まれた気分でおりまうす。
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091216
◎まさに師走
今日一日も半分過ぎちゃいました。まちがいなく、あっちゅうまーに、来年ですね、これは。
どうしたって、みずからの探求を、言葉にするとちんぷんかんぷんのちちんぷいぷい。ブログという中途半端なポジションって、簡単なようで難しいでぅす。
ブログを更新しながら、言葉で考えちゃったりしてますけど、私の言葉なんてスーパーの大安売りの小松菜ぐらいのもので、探求という調理の材料としては役不足。
言葉で探求を行うのは哲学の方々にお任せして、私は視覚的な仕方で、考察と発信を来年もがんばりまっす。
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091216
◎師走
12月も半分過ぎちゃいました。きっと、あっちゅうまーに、来年ですね。
昨日は日本の大学とアフリカの施設とのサテライト討論会を見てまいりました。サテライトってアートで使えたらいいねって、討論会のことを教えてくれたピアノの師匠と話しているのですが、使用料が一分数十万円ということで、まだまだ手が出ま千円。
帰り道、神保町の本屋で、私がかねてから尊敬して止まない賢者が編集した事典(7800円)を買うかどうか、閉店まで迷ったあげく買わずに帰りました。レイコのかつら代やらそのクリーニング代やら、いろいろとかかっておるので。
芸術をすることと、アフリカがどういう状況にあるかと、サテライトという技術があることと、木村にお金がないこと。それらはどうしたって関係しておりまうす。芸術をするということは、そうした諸々に開かれた形の追求の追及の追究の追求・・・の終わりなさから、どのような振る舞いであなたと出会うか、ってことだと思いまうす。
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091130
◎人間語
ブログを再開してから半年近く経ちますが、自分の過去ログを読み返すたびに頭痛と吐き気がしちゃいます。おえっぷ。
書いている自分が読み返しても、ちんぷんかんぷんのちちんぷいぷい。まともに物事を語れない自分が幽霊か妖怪に思えてなりま千円。はあ、人間になりたい。
言葉を覚えて、きれいになって、しっかり発音できるようになって、きれいになって、人間の身振りを覚えて、きれいになって、まるで世界を知ってるみたいに空を見てみたいどえす。
ま、何を言っているかよくわからないにしても。出雲の個展が、今日で終わりました。
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091119
◎レイコ
明日からまた出雲にうかがいます。レイコちゃんの留学のお供です。
私(んちに下宿しているレイコちゃん)が留学をつづける限り、私は彼女のこの世の責任者です。レイコちゃんはこの世界に登録された存在ではないので、私が保護者となって、彼女のすべての責任を負っています。
私がこの世の存在である限り、レイコは私(のアトリエ)に下宿し続けます。我が家はレイコのホストファミリーであり、私はレイコのホストマザー、つまり私はレイコに子宮を貸しているのです。
私が、この世の形を追うことに棲みついた存在であるならば、レイコは、私が形を追う現場、制作の現場につねに留学にアラワレル少女なわけです。
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091119
◎出雲展の広報制作物
手銭記念館が制作した「レイコの出雲<美術>留学」の広報物が、
同館ウェブサイト
からダウンロードできますので、ここでまとめてみました。
展覧会のチラシ
の表紙には、2004年に私が制作したビデオの一場面を使いましたがな。
会場入り口で配布しているマップの裏面
には、木村とレイコの対談が出ておりまうす。
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091119
◎冬とコート
すっかり冬の空気です。
たいそう気に入っている紫のコート、それを着て歩けることがとても嬉しいです。黒い羊毛のコートやベージュのトレンチコートなどにも憧れますが、ぶっちゃけ一文無しなので、いつか、天と地がひっくり返ったときにでも買ってやろうかと思いまうす。
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091117
◎出雲展の報告�-2
11月9日の夕刻は、「二人静」をベースにした「二人木村」の舞台でした。不透明な(実存的な)木村は、ワキの「成仏しなさい」の唄によって舞台から去った一方で、半透明な(サランラップの)木村は上演のはじめから終わりまでずっと舞台に居りました。幽霊の装置が物理的に舞台の天井にくくり付けられているからなんですけど。
たんに装置の問題なのですが、半透明の木村の幽霊が結局舞台から消えなかったことに、少し安心しています。この世界で起こったこと、たしかに存在した人は、完全に透明になることがないのだという気がしたからです。私が作り上げる幽霊の舞台は、舞台に幽霊がくくりつけられていることが真実なんだと確信しました。
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091117
◎出雲展の報告�-1
11月9日の夕刻は、能楽師の方々とともに、「二人静」をベースにした舞台を上演しました。ワキ方の安田登氏と笛方の槻宅聡氏に加え、木村と木村の幽霊が登場するパフォーマンスだったのですが、主催者の手銭和加子氏の全面的なサポートのもと、大成功をおさめることができました。
舞台はレイコちゃんの即興ピアノから始まります。このオカッパ頭の稚児が奏でる混沌としたピアノの音は、笛の音へと橋渡しされ、この世の舞台が形成されて行きます。レイコは舞台終了後のトークショーにふたたび登場して、ワキ方・笛方のお二人に問いを立てます。まるでワキがシテで、レイコがワキ。時空をかける少女・レイコは舞台そのもののワキを務めていたんですねえ。
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091117
◎秋というより冬ですけど
イベントの報告をし出すと、一つのトピックがどえりゃあ長くなりますんで、ブログっぽく、つれづれな感じでやってこうと思いまうす。
アトリエのテラスのブルーベリーちゃんの葉っぱくんたちが、やたらと真っ赤なのですが、これは紅葉しているのか、水をやらずに2週間も放置したせいなのか、いまいちわかりませんが、秋は空も山も紅くて、ロマンチックが止まりません。
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091117
◎出雲展の報告�
11月8日には一般参加のワークショップ「レイコとのデッサン会」を行いました。
レイコを含めた参加者9名全員が交代でモデルになり、5分から10分で一枚の絵(クロッキー的な)を描きました。最後はレイコがモデルになり、40分ポーズで一枚の絵を描きました。昼からはじまったワークショップは、日没直前までの約4時間行われました。
近頃の展覧会につき物の「ワークショップ」というものは、展覧会という形式を成立させるための道具だったり、あるいは助成金を得るのが目的だったりします。展覧会の付属物として(そして作品出品の条件として)アーティストがその企画から運営、材料の調達までを行うのが私が経験した一般的な状況です。(私が研修を受けたNYの美術館では、エデュケーション部門の専門家がワークショップの企画から運営の全てを行っていたはずなのですが)。ワークショップというガイコツが一人歩きしているのが日本の美術展の現状のようです。
しかし、日本でのこうしたワークショップの形骸化・慣習化は、アートという行為そのものを再構築するためにはある意味好都合な現象だとも思います。作品(や展覧会)の囲い込み、つまりそれが作品か否かを決定する線引きは、先の岡学芸員がおっしゃっていたように、展覧する側と観客との問いのキャッチボールによってつねに揺さぶられるものだと思います。提示する側の入念なリサーチや決断が重要である一方、観客の批評的な目と応答のスキルが伴うことによって「よりよい」作品(や展覧会)が起こりうるのだと思います。
今回のワークショップでは、展覧会や作品への直接的な批評という形はとりませんでしたが、相手をしっかり見ることや、自らの手でその解釈を形にすることのレッスンを提案させていただけたと思います。しかもこうした(互いの)レッスンというのは、1、2時間ではあまり意味がなく、3、4時間やってみて、ようやく集中するという経験が生まれるのであり、集中する楽しさを経験できるのだと思います。
今回は展覧会の主催者側がワークショップの企画に賛同・協力してくださり、また参加者の方々が真剣勝負に付き合ってくださったことで、本展覧会の作品となる8点の「レイコ像」(力作!)を会場に展示することができました。今後もこの企画は続けていきたいと思います。
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091117
◎出雲展の報告�
11月3日に島根県立古代出雲歴史博物館の学芸員・岡宏三氏と、同館内でトークイベントを行いました。
イベント会場には岡氏の仕事場のデスクを一部再現していただき、留学生のレイコが氏を訪ね質問をしていくという、芝居がかった演出をしてみました。
レイコが提起させていただいた問いの中心は、公立の博物館と民間が連携して歴史を表象する場合の具体例や問題点などでした。(詳細は11月30日の「報告会」で。)
レイコのあやふやな問いに岡氏が最後にくださった応答は、博物館というのは、学芸員が断言する場ではなく、観客との問いのキャッチボールを行う場である、というものでした。
問いの一球一球が、甲子園球児のような緊迫したものだったら、博物館は激震しながら社会にとって有意義な場となっていくのだろうと思いました。
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091117
◎出雲展について
出雲から一旦もどり、出雲展後半の準備をしておりまうす。
前半は、島根県立古代出雲歴史博物館の学芸員の方とのトークイベントを開催したり、能楽師の方々と舞台をさせていただいたり、それからー、長時間のガチんこワークショップ、地元FMラジオ番組の公開収録など、ほとんど毎日イベントを行って参りました。
後半は、前半に留学させていただいた地元の大学の教員の方との研究発表会、出雲大社参道へ連なる商店街でのイベント、個展をしめくくる留学報告会と、まだまだイベント(と打ち合わせと記録の編集)が続きまうす。睡眠時間はほとんどありませんが、皆さんからいただいた愛燦燦な修行ですので、ありがたくたんたんとやって行こうと思いまうす。
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091117
◎手帳
店先には来年の手帳が並んでおりまうす。
いま使っている手帳は、今年のはじめに賢者からいただいたものです。手にしたとたん、修行のスケジュールが次々記されることとなり(あ、つまり展覧会の予定とかイベントのお誘いとかですけど)、私はこれを「魔法の手帖」と呼んでおります。
来年はさらに厳しい修行を積みたいので、しかも展覧会とは違う、真正の「形を追求する者」になるための地味で激しい修行に入りたいので、また手帳をいただけないかなあと思っちゃったりしちゃいます。
でも修行はみずからがみずからに課すものでもあり、おのずからみずから起こるものでもあるので、賢者に頼らず100円ショップで小さい手帳を買って来ようかと思いまうす。でもぶっちゃけ、手帳、欲しい、みたいな。
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091116
◎一ヶ月ぶり
ありゃりゃ、前回の更新から一ヶ月も経ってしまいました。
私のアトリエにかねてから下宿しているレイコちゃんとともに、出雲に行っておりました。世の中的には「神無月」な11月ですけれど、日本中の神様が出雲大社に集うこの時期の出雲地方は「神有月」と呼ばれるそうです。
日本海から出雲大社へ向けて神様たちがお通りになる「神迎えの道」沿いにある旧家「手銭邸」にホームステイしながら、レイコは<美術>留学をさせていただいております。留学の詳細についてはまたご報告させてください。
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091015
◎芸術の秋!
10月ももう半分来ちゃいました。11月は芸術の季節!行きたいイベントやレクチャーがてんこ盛り!なんですけど、私の方は島根県でイベントをてんこ盛り催すので、東京の催しには一つも行けなさそうです。
体は一つ、イベントは無数。21世紀の秋は「芸術」だけでは済まされない模様。ネットワークとテクノロジーと個々の想像と工夫が必要・・・ってこれもまた「芸術」という概念に包まれるのでしょうか。
ともかく、秋の展示・イベント、がんばりまうす。当サイトでの告知はもうしばらくお待ちください。
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091015
◎賢者
自分がそう呼ぶ賢者とはいかなるものか、自分自身でもよくわかっておりま千円。ただ、私が自分のノートに「賢者」という語を書き出した時期っていうのは、およそ30年の私の人生で最も社会(世界)に絶望していた頃なので、そこに言及し世界を変えて行ける力を持った何者かが私にとっての賢者なのだろうと思いまうす。
私の場合、私の絶望を超えるもの、そしてこの絶望的なワールドを変えられるものは芸術しかないと確信しちゃったほうなので、芸術家をたくさん育む方向を模索しがちです。つまり、私が求める賢者は、私みずからが芸術家に成る方角へと導くというだけでなく、世の中みんなが芸術家になるような方向への手がかりを持っている人、と言えるかもしれま千円。
そんなわけで、私のこの数年の関心は、いろいろありはしますけど、「芸術」のみならず、「教養」について言及され実践されている方に向けられております。私自身もっと修行を積んで、「賢者紹介所」的現象を実践して、賢者の言葉や行為に触れながら生きられたら、たぶん絶望とは違うこの世の淵を経験できるような気がしまうす。
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091015
◎賢者紹介所
ところで、私はアーティストを生業にしている者です(今更ですけど)。自分の幽霊などをサランラップでつくったりしてるのですが。ですが、自分の幽霊以外に、かねてからとてもつくりたいものがあって。あって、それは、何というか、「賢者紹介所」的なものというか、「修行斡旋所」的なものというか、そのようなものです。概要をお話すると・・・
個々人がそれぞれ修行し、6年から10年くらいしたら、紹介所へ行って、修行の内容を申請します。すると、その修行内容にふさわしい賢者を紹介してくれ、賢者に会いに行くための更なる修行の提案をしてくれます。賢者がどういう言葉を使うか、賢者がどこでどんなことをしているか。賢者のもとで修行をする場合のモラルなど、修行のための情報を常に更新しているような機関です。
そうした情報を手がかりに、個々が修行内容を自分でアレンジして、さらに6年くらい修行を続けたら、紹介所の仲介のもと賢者を訪ねる。で、行ってみたけど門前払い、みたいなこともあり、みたいな。で、また修行!みたいな。
・・・こんな具合なのですが、でも考えると、この紹介所に近いものが、世の中には結構あるような気がします。大学院や大学のような学校的な場だったり、美術館や博物館、図書館だって機能としてはかなり近い。職業訓練所もコミュニティ・カレッジも、市民大学的なものも。ありゃりゃ、いろんなものが「賢者紹介所」だ!
長くなってきたので、とりあえずの私のまとめとしては、機関としての紹介所を模索する一方で、個々人が、自ら情報の収集と発信と修行をして、みんなの動きの中で修行と修行紹介所と賢者を営んだらいいのかなあと思います。長くなってきたので、今回ははちょりましたけど、次回は実践を交えて、このことについて問うてみたいと思います。
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091001
◎出雲のイベント案内�
ご案内というほどのことではないですけど、能の前座(というより能舞台の一部)として、私がピアノを弾きまうす。
能管の代役的に、ピアノで幽玄の世界を、私の解釈でやってみまうす。いや、ご案内というほどのことではないですけれど。
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091001
◎出雲のイベント案内�
今日も朝から出雲展の企画をこねておりまうす。11月7日スタートの個展(というよりイベント群)なのですが、催しものの数がけっこう充実しておりまうす。
イベントの一つに、能楽師の方々のご協力を得て行う能の舞台があります。私の幽霊がシテとして登場します。わが幽霊サーカス団のトップスター、「私幽霊(原寸)」ちゃんの能楽初舞台です。
私幽霊サーカス団には、無数の無限の<非=私>がおりまうす。見えないので無数に無限にいるわけです。でも見えるギリギリのところまで連れてくるのが団長である<私>のお仕事。<非=私>を形の世界であるこの世の舞台に上げること。つまり、半透明に見える「私幽霊」たちは、すでに舞台に上がっている状態なのです。
能という舞台の構造もたぶんにそれに似ていると思いまうす。ふにゃふにゃのサランラップが、この世の勇ましい形に跨(またが)ったら、それは立派な能の舞台と言えるかもしれませんえん。
今回は、能の中に能が入れ子状に入るかのような状態になるかしらん。さらに複雑に、団長の私も舞台に上がり、「二人静」を上演します。能という芸能と能的な現代芸術の合わせ鏡。さらに私と非=私/静御前とその幽霊。二重三重の複雑な構造からなんらかの発見(!)が起こることを願いつつ、この実験舞台は11月9日上演ですの。
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090920
◎覚醒待ち
もうすぐ始まる出雲展のチラシ用のテキストを書いていまうす。もう数日間、これにかかりっきりでいるのですが、どうもステキな文章になりませんえん。
ピアノを弾くように、自由になりながら、さあ、雪の踏み心地!さあ踏み心地!といいながらやっているのですが、そのようには行きませんえん。
それはたぶん、語彙や表現のヴァリエーションの欠乏ゆえに、執筆という媒体では私の全身も全霊もうまく動かないってことれしょう。
文の師に伝授されたように、文学に触れて言葉を豊かにしなければなりませんえん。芸の道は長くて厳しいどすわぁ。
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090920
◎最近の覚醒
全身全霊で考え、発見するという経験をしました。それはピアノを弾いているときに起こりますぃた。というより弾いた後でもその経験が何度もフィードバックしてくるような。一週間経った今でも、体が覚醒したかのように、新しい世界を知ってしまったような感覚が続くのでっす。
音の師は「自由になること」と伝授してくれたけど、確かに、ピアノを弾くってのは、雪の中、方角とかもないところへ自らの体を連れて行って、それでも雪の踏み心地っていうのがあって、つまり、雪と全身全霊と踏み心地のムーヴメントそのものになっちまうってことなんだろかと思うのでぅす。その境地で考え、発見することの気持ちよさが、忘れられませんえん。
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090903
◎もの減らしキャンペーン
朝からガラクタの分別をしております。展示の搬入と搬出が続き、撤去した作品と設置のときの余分な材料がてんこ盛り。アトリエは足の踏み場がありませんえん。
午後には、今ここにあるモノの9割がゴミとなる予定。と言っても、私の作品の原材料は、サランラップと木片がほとんどなので、小さく圧縮すると大した量にはならないのですが。
展示会場にいったん現れた半透明のボリュームが、アトリエに戻って、透明になって無限の可能性となっていきます。モノがなくなるときってのは、そういう安堵感がありまうす。
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090902
◎カラダ返上
台風も過ぎて、選挙も終わって、作品の設置も終わって、なんだか静かな気持ちでおりまうす。今日は久々に終日アトリエに居られて、タマシーが曇りない眼(まなこ)のように空(そら)を見ております。
このところ、たくさんの人とお話をする機会が続いたり(展示がらみで)、自分で立てた計画に追っかけられることが続いたので(やっぱり展示がらみで)、今日一日は静かに体を返上したいです。いま鳴いている鈴虫の声のあたりに体を戻して、私は哲学者の体の中の受身な妖精でいたいわさ。
・・・って、おっとっと。一日アトリエに居ただけで、言葉が社会性を無くしているようでっす。ブログと近所づき合いは、バランスのよい言葉でがんばります!
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090902
◎路上のコドモ
それは毎月やってきまうす。そう、家賃の支払い。何とか何とかやりくりしておりまうす。現在のところ、屋根のある建物にとりあえず生存している私ですけれど、この生活が当たり前とは思っていませんえん。
私がみずからの身をとりあえず置いているのは路上でぅす。明治2年の北海道の路上かもしれないし、網走番外地や1968年の新宿の路上かもしれない。はたまた現在のメキシコ・シティの路上かもしれない。ともかく、国籍も苗字もなく、とりあえず息をしているストリート・チルドレンが私の基本形でぅす。
工夫して、何とか人前に現れて、工夫して、芸をして、工夫して、お金をもらったり、工夫して、力のある人に守ってもらったり、そうして工夫して生きていく、そのようなぎりぎり<形>であることを続けているのでありまして。
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090822
◎制作中というより修行中なわけで
作品設置のために、毎日4.7メートルの高さまで、足場に付いている垂直の梯子を昇り降りしています。計算してみると、だいたい一日60往復くらい昇降してまっす。
作品制作というよりもむしろロック・クライミング。体を腕の力で引き上げながら足で押し上げる。全身で自分の体の重さを確認するような作業(行為)をくり返している感じでぅす。
いい形になるように集中してはいますが、形に関するプロセスはあまり覚えてなく、高所の恐怖とか、糸が切れて素材が落下したときの焦りとか、腰の痛みとか、そんなのとばっかり向き合っているような気分です。
「つくる」というよりは、むしろこの世界を「思い知る」実践をしているだけという感じ。
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090822
◎オーロラ・ステーション
所沢の「引込線」展のインスタレーション中です。
会場は電車の車両工場です。大きい上に、その空間はどえりゃあ「巻き込み」を持っているというか、入ってくる者の目を電車の引込み線にのっけて遠くの方へやってしまう、どえりゃあダイナミズムを持っておりまうす。
そんなどえりゃあ空間とどうやって踊るか。去年参加したときもそれが一つの課題だったのですが、今年はさらに激しく静かなダンスをしてみたいでぅす。
私の体をもっと拡張させてすべての奇跡を迎えられる邂逅の時空を現前!それでも私しか生まれて来ない絶望ちゃんと、君を待ち続ける希望ちゃんが、静かに同居する、オーロラのプラットフォームなわけ。・・・・ま、何を言っているかよくわからないにしても、ウマク・イクカナ、チャント・オドレルカナ・・・、そんなことを心に唱えながら、集中して設置しておりまっす。
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090812
◎ビニール袋
とにかく辛うじて存在している状態でっす。何一つ成り立っているとは言えない。生活だってそうだし、決して「私」なんて胸を張って言えるような現われ方をしていない。木の枝にひっかかってるビニール袋みたいな、そんなイキザマですの。
しかしどういうわけか、ビニール袋ちゃん、この世界を満喫しているような豊かさだけはあるのです。こんな状態でできることはたった一つぐらいしかなく、ただそれだけをやればいいのだと、そういう余裕がありまうす。
そのたった一つってのは、ざっくり言うと、形を問うようなことだと思うのですが、いや何となくですけど、世界中それ以外は何もないのではないかと思ったりしまうす。そういう意味では、これほど世界を余すことなく満喫していることに自覚的な生もないのではないかと、そんなふうに思ったりしちゃったりしてます。
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090812
◎ダンス・レッスン2
今も昔もないだの、こことかずっと遠くとかがないだの言っておりますけど、さっきから左足のくるぶしのところ、蚊に食われてめっちゃかゆいっす。
そろそろ家賃の支払いもあるし、歯医者だって行かなきゃいけない。かゆさも請求書も歯の痛みもなく踊りつづけてウナ・ドス・トレス、ウナ・ドス・トレス・・・ただそれだけ。ってワケにはいきません。
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090812
◎ダンス・レッスン
ボディーソープを新しいのにしました。お風呂場がいい香り。くんくん、これはたしか、メキシコの下宿先のバーニョの香りだ!
お風呂に入るたび、下宿先のナサリオおじいちゃんとクレメンティーナおばあちゃんのことを思い出しておりまうす。ふたりとも90才近い年齢でしたけど、7年経った今どうしてるかな、なんて当時と今を直線でつなぐ気はありません。
2009年、東京にいる私は、いつだって2002年のメキシコにいる私と踊っておりますし、後者の私は、ナサリオ・イ・クレメンといつだって彼らのリビングで踊っておりますの。
ウナ・ドス・トレス、ウナ・ドス・トレス・・・今とかずっと昔とかもない。ウナ・ドス・トレス、ウナ・ドス・トレス・・・みんなと一緒に踊りつづける。ウナ・ドス・トレス、ウナ・ドス・トレス・・・ただただそれだけのこと。
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090809
◎ひとり芝居
ごろんとした作品を置いて、そこへお客さんに来てもらうのは王様がやったらいいです。
みんなでひとつの場所を共有するのも、みんなが合意しているのなら、それはそれですばらしいことだと思いまうす。
私はどちらかというと旅芸人を目指しておりまうす。身ひとつでよその土地を渡り歩き、行った先のお客さんと私との間に舞台ができる。
たまには王様の力を借りたり、みんなで使う場所を借りたりしたいですけど、結局はひとりで世界をまわり続けたいです。
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090809
◎第七のスイカ
今年7玉目のスイカがなくなりました。ひとりで全部食べているのですが、肉体的に大丈夫なのだろうか。。。
ほとんどスイカのみを食べているせいか、先日電気ドリルが持ち上がりませんでした。天井に鉄のネジを刺し込む力がなくてもいいから、果物だけを食べて、水のようになって、川みたいに流れていたいなあと思ったりもするのですが、ロマンチックが止まらなくなってきたのでこのへんでやめときまうす。
私の憧れから程遠く、次回の展示場所は鉄の塊のような巨大な建造物の中です。展示させてもらえることに感謝しつつ、これが終わったら、身の丈に合ったサイズの幽霊に集中したいなと思います。そうしたら、身の丈をはるかに越えた空間に向かうストレスからも開放されて、スイカ以外のものも食べられるようになるかしらん。
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090805
◎元気ですか!その3
時代の中で孤独でも、どうしようもなく信じてしまえるものがあるから、たぶんアートみたいなことをやっているのだと思います。
だから、私が「確かだ!」と失神してしまえるようなもの(それは<形>というものだと思うのですが)に触れることだけが、このライフの中で目指されることなのですが、その確かさってのは、人とかのあいだに起こるような気もするので、より多くの方に作品(みずからのアクティビティ)へとアクセスしてもらうための働きかけをがんばりたいです。
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090805
◎元気ですか!その2
昨日買ったスイカはハズレでした。
表皮に貼ってあるシールを確認。名前を覚えて、次は買わないようにします。この名前がお客さんに再び味を見てもらえるチャンスは、少なくとも来年の夏までありませんえん。
私のこの夏の展示、ハズレのようなものだったら、再びのチャンスはもっと先までないでしょう。アートはスイカと比べられるものではないけど、ある側面では、スイカのようなものです。
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090805
◎元気ですか!
今日一発目の「元気ですか!」。
今日からしばらく緊張状態に入りマウス。所沢の作品構想の最終決定と、それに関するテキストを送らなければならず、寝ても覚めても集中している感じです。
朝から体が重くて、やっぱりスイカぐらいしか口に入らずです。
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090804
◎元気があれば何でもでける
スイカを食べながらの更新です。
今日は天気がよくて、誰に対してともなく、「ありがとう」を20回くらい言ってしまった。もちろんアトリエの中でですけど。
っておいおぃ。ひばりちゃんくらいの年齢でもないのに、愛燦燦としてる場合じゃないです。今月の展示に向けて、闘魂で行かなければ。明日はアトリエで「元気ですか!」を20回くらい言ってしまおぅ。
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090804
◎形について
このサイト、自分の名前を前面に出していますが、べつに目立ちたがり屋とかじゃないです。いつかは、名前すら透明に溶かしていくつもりです。
ただ、強くキレイに溶けるには、形を燃やさなければなりませんえん。形を、名前を、燃やすのです。個人という形を借りているその責任、アーティストという形を借用する責任、そのようなことですけど。
幽霊と仲良くなると、形のことを教えられます。形って重いけど、ありがたいものだよと、幽霊はよくおっしゃいます。
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090804
◎すいか
今年6玉目のスイカを食べました。
夏はスイカとハンペンぐらいしか食べる気がせず、今年はハンペンすら食べる気がせず、毎日スイカだけを食べていまうす。
甘すぎず、水っぽいところが好きです。自分もそんな人間になりたいっすぅ。
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090801
◎私のしるしの下は?
ワタシノシルシノシタワ?・・・これ、回文です。前回のタイトルを見ていたら思いついちった。
私から印を差し引いて、そこに何かあるかなあ。私の名のもとに、私はどのような形を追えるのだろかな。何べん回っても、ひっくり返っても、終わらない問いです。
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090801
◎私のしるし、しるしの私
今日から日付を、上記のような標記にしまうす。
作品のタイトルにもこの標記をつけることがあります。アトリエのノートやメモにも書き入れていますが、ブログへもつなげてゆこうかと。
なだらかに、私の名前がこのしるしと入れかわって行ったら、チクタクチクタク、私があと90年はつづくかしら。私を超えて、チクタクチクタク、標記上は991231まで、チクタクチクタク。
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July 28, 2009
◎机上
で、生活も成り立っておりませんが、作家活動も形にはなっておりませんえん。
ウチには机が3つあるのですが、どの机上も紙類が山のように積んでありまうす。進行中のプランや未整理の作品資料、メモ類がその内訳なのですが、分類も収拾もつかないまま、その上でさらに作業をする始末。
つまりそういうコトなのです。<私>も<作品(活動)>も、形に成りそうで成らないまま。人間になりたいのなら、形を修めて、形を燃やす修行や遊行が必要だなあと。そう思いつつ、机上のこのメモを、さらに上乗せ、みたいな。
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July 28, 2009
◎発見
天気がいまいち。洗濯のタイミングも計れず、おまけに家計もガタガタ。あんまし<生活>がうまくいっていませんえん。
こんなときは、うまくいっていることを唱えてみますう。
ひとーつ、レイコの留学(進行形のプロジェクトですの)で<描くこと>の核のようなものを発見した。ふたーつ、賢者(去年から影響を受けている学者ですの)のエッセイを読み直したら、遠近法と幽霊について新たな発見があった。みっつーう、あ、これも発見系(省略しますけど)。
生活は崩れそうですけど、<発見>と<体>があれば、人生リッチリッチぃ。
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July 24, 2009
◎人間というカタチ
東京はひどい雨です。
夕方の授業まで、自習したノートをまとめています。授業や自習的なノートから作品が生まれることもあり、これらはとても大切な時間です。
私の存在自体も、ノートみたいにとりとめのないものだと思います。作品みたいに、何とかカタチになって、人間になって、キレイになりたいわあ。
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July 19, 2009
◎メモ
昨夜のトークショーで、「私幽霊は自分の分身や抜け殻ですか」という問いをいただきました。
「分身」という語が含んでいるすべてのことを私は知らないので、それにハイかイイエでお答えすることはできないのですが、私幽霊についてはこのような言い方ができると思います。
私はいつも、死んだ自分と重なっている実感があります。実感はあるのだけれども、<死んだ私>は、私からは見えません。だから、それが巨大なスカートをはくことも考えられますし、足や手が多かったり少なかったりすることも考えられます。
デッサンでいうところの、白い紙からぎりぎり<私>の形をひっぱってくるようなあたり。ドでかいスカートやブラジャーだってそこに「描ける」。その「描ける」が私幽霊のとりあえずのポジションなのだと思います。
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July 19, 2009
◎今したいこと2
今日のパフォーマンスも無事終わりました。みなさん本当にありがとう。
明日は昼まで寝て、風呂に3時間つかったあと洗濯と掃除をしまうす。透明になって空を飛びたいところですが、身も心も透き通っているタイプではないので、羽とかもはえてるタイプではないので、幽霊の新作をつくろうかと思いまうす。
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July 19, 2009
◎今したいこと
昼まで寝て、お風呂に3時間入って、服と寝具を洗濯して、部屋中の掃除をして、透明になって、飛んでゆきたいでうす。
今はその正反対。寝られない、ゆっくり風呂に入れない、洗濯できない、掃除できない、透明になれない、飛べない。
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July 12, 2009
◎私幽霊
どうせ徹夜ですので、ついでにブログもがんばりますぅ。
「私幽霊」という語をタイトルなどに使っております。これを<しゆうれい>とよんでおります。<私>を「し」とよむところが好きです。たとえば「私小説」という音もきれいだと思います。
<私>の影に死(し)があるなぁとか、私有(しゆう)している霊(れい)が<私>ってことかなぁとか、そんな寝言を引き受けてくれる、<私>の問いのアイコンのようなものです。
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July 12, 2009
◎徹夜
17日からはじまる展覧会の搬入が、もう数時間後にせまっておりまうす。この一週間、ほとんど寝ることもなく準備をしてまいりました。
今回は作品の形態が多様です。(これはワークショップが義務づけられている今展覧会において、ワークショップを作品の外部に置かないようにするための工夫の行く末だったのですが)ビデオの編集を夜中に行いながら、インスタレーションの造形物制作を日中、それらの合間にワークショップ(数種)とパフォーマンスの段取り、そして早朝に簡単な広報物制作、という毎日です。
まるで五科目の受験勉強!しかし、この課題をクリアすると、どんな場所も自らの舞台にしちゃえると思うのです。自立したアーティスト(というより個人、というか市民・・・?)になれる気がします。こういう態度は(アートの世界?では)たまに嫌われることがありますが、5年間のフィールドワークで得た確かさでもありますし、とりあえず続けてみようかと思います。
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July 11, 2009
◎七夕
ロマンチックが止まらないタイプでして、ブログの復活を七夕の日に設定してしまいました。うふん。
会いたい人と会えない織姫ちゃんは、織姫ちゃんのカタチのままで天の川をおひょんと超えられる、織姫ちゃんの幽霊をせっせとこしらえるのでした。
[織姫ちゃん]は[彦星くん]に会えない。[織姫ちゃん]と[織姫ちゃんの幽霊]は同じ。[織姫ちゃんの幽霊]と[彦星くんの幽霊]は同じ。[彦星くんの幽霊]は[彦星くん]。よって[織姫ちゃん]は寂しいけれども寂しくないのでありました。
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July 7, 2009
◎展覧会
「ニュース」ページにもありますが、もうすぐ展覧会がはじまりまうす。よろしければこちらをチェケラっちょください。
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July 7, 2009
◎ブログについて
休止しておりましたブログ「ソーダ・アンワーズ」を復活いたします。
2003年4月26日〜2007年12月30日までのログはいったん倉庫へしまいまして、諸々の調整を行いながら、のちに「あーかいぶ」として公開いたしまうす。
長い間愛読してくださった皆様、今後もよろしくお願いいたしまうす。
(c)KIMURA Sachie / 木村幸恵
www.sachie.info
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